ベンチャー

転んでも、転んでも、
起き上がればいい。

IL RICOTTARO

イル リコッターロ 竹内 雄一郎

THEME「挑戦」

 真庭の中でも自然豊かな蒜山高原。その森にあるイルリコッターロの入り口には、一枚の黒板が飾られている。そこに描かれているのは、森の中にカフェやコテージがあり、牧場には山羊や羊がいて、山の川も流れているマップだ。

「ここでチーズが食文化として根付くような暮らしがイメージできたんです。ここで10年やってきて、ロマンとそろばんは違うということも学びましたが、課題をクリアしていけばいい場所にしていける。真庭には可能性があります」
大学時代、北海道のチーズ工房でバイトをし、「それまでチーズは嫌いだったけど、ちゃんと手をかけて作られた良いものは美味しいと知りました」。中でも好きだったのがリコッタチーズ。通常のチーズ作りで余ったミルクの水分をもう一度煮て作る、副産物のようなものだが、イタリアでは地域に根付いた庶民の味だという。イタリアンの店で働いた後、チーズの本場を知ろうとイタリアのシチリア島に渡った。

「向こうでは乳を殺菌せずに薪で炊いて、できたチーズをおばちゃんたちがボールで買いに来る。それがもう崩れそうなほど柔らかくておいしかった。その地域ではアグリツーリズムのように農家に泊まってもらい、チーズ作りを体験してもらってお金を落としてもらう仕組みもありました」

チーズがそこに根付いた食文化として在る暮らし。シチリアで見てきた光景を日本に帰って作りたいと訪れたのが、父が建てた別荘がある蒜山だった。そこには豊かな自然があり、酪農が盛んな土地だけに食文化もあった。「リコッタチーズを食べてもらったら、『あぁ、これは乳豆腐だね』と言われました。イタリアでも豆腐やお菓子としても使われるので、ここならやりたいことができるかもしれない」と直感した。

 意気揚々と蒜山でチーズを作り始めたが、理想と現実の狭間でもがいた10年間だった。「勢いのままに、なんでもかんでも一気にやろうとし過ぎてしまった」。自分で絞った乳を使おうと北海道まで山羊や羊を引き取りに行って飼育し、畜舎も建て、カフェも始めた。こだわったチーズを使った店は順調に客足を集め、多いときは7人もの従業員を抱えたが、冬場は雪で営業できないため、夏場に挽回しようと休む間もなく働いたという。さらに、自然を相手にすると、これだけではすまなかった。

 「土地を管理するのも大変。大雨で山道が崩れたら直すのに1カ月かかりましたし、水道管が破裂したら自分で調べて直しました。自然を相手にするとやることは無限に出てきました。手をかければチーズを生産できないし、とにかく大変でした」
 理想を目指して進めていたつもりが、気持ちだけが先走っていた。新しい家族も増えても家に帰ることもできないほどの日々。限界を迎えていた。

 「家族の時間も取れないほど働くと、何をしているかわからないですよね。全てを成り立たすためには、お金も人もちゃんとうまく回るような仕組みがないといけません。当時の自分にはロマンだけでした。今思うと、周りを疲弊させていたんだなぁとわかります。人のつながりや小さなことから、もう一度作っていこうと思いました」

 そういう姿勢でいると、自分のいる現状や周りの景色が見え始めた。コロナ禍のピンチも、チーズが売れなければ近くのワイナリーで販売してくれたり、農産物の販売所ではチーズの食べ方の提案を一緒に始めたり、北房地域の特産であるピオーネや地元老舗の味噌とコラボ商品を開発したり…。すぐ近くにこんなにもつながってくれる人たちがいたと気づき、ありがたかった。

 「僕がやろうとしていることは、ある程度のコミュニティーがあって、自然の中で成り立つこと。人に頼って、頼られてというメンタリティーも持っていないといけなかったんです。でも、そういうつながりを持てるのも蒜山。ここにある足元のものを生かし、ここだけのチーズを作りたいですね。10年前のロマンは、今もそのままですよ」
壁が立ちふさがるからこそ、喜びは大きくなるもの。夢とは、そういう挑戦の先にあるのかもしれない。ここで竹内さんの挑戦は続く。

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