松田 然さんのレポート
フリーライター

あなたの庭(=自分らしい豊かな暮らしや働き方)が見つかる街、真庭

「真庭は人が観光資源なんだよ」

岡山県真庭市の玄関口、久世で開催された夕食会で聞いた一言。

「あっ、この街は合いそう」

と、ぼくも心の中でつぶやいた。

観光とは読んで字のごとく、その場所の光を観に行くこと。しかし、多くの街が”光”として売り出す絶景スポットなどは、一度見れば次に訪れるのはかなり先か、友人や家族をまた案内する場合のみ。そこに何度も通ったり、移住して暮らしたりする選択には至らないことが多い。

ただし、例外を除く。その土地に関わる人の魅力=光があれば、自分にとってのホームタウンのような場所になるし、自宅や会社でもない、ココロが豊かになるサードプレイスとして、また行きたくなるとっておきの場所にもなります。真庭はまさに、そんなところ。

ぼく自身、全国47都道府県全てを自転車で回ったので日本の観光地のほとんどの場所を訪れたことがある旅人であり、多拠点で働くリモートワーカー(働き方実験家)です。今回は2020年10月末に約6日間真庭に滞在した体験記をもとに、客観的にこの場所と人の魅力を紐解きます。

多様性のある場所だからこそ、無理に1つにしない

ぼく自身、実は真庭に来るのは初めて。なんなら、真庭の高原エリア「蒜山(ひるぜん)※写真は蒜山の鬼女台展望休憩所」の名前だけは聞いたことがありましたが、真庭のことはほとんど知らない状態でした。

こういった初めての場所に行く際に意識していることは、人を尋ねること。もしくは、人が集まる場所に行くこと。それは多くの場合、カフェだったり、コワーキングスペース(ドロップインで仕事ができる場)だったり、名物大将がいるような居酒屋だったり。

今回は、最初に訪れたのが真庭市役所。ぼくに声をかけてくれた張本人、平澤 洋輔さんを尋ねに(こういうご時世なのでオンラインでは何回か会っていましたが、リアルで会うのは初めて)。

もともと東京の大手広告代理店に勤めていて、東日本大震災をきっかけに働き方を見直し、都会から岡山県の西粟倉村に移住。優秀な人が山ほどいる東京に必死にしがみついて何者かになることを目指すより、地方に目を向けてみたいと思い、人口約1500人の村に家族で移住したのだとか。

その後、地元のローカルベンチャーで働いていた際の当時のクライアントの1つ、真庭市に拠点を移す。その際に真庭市役所が自己PR型で職員を募集していたのをきっかけに、手を挙げ、今は公務員にというキャリアを歩んでいます。

「……面白い」

これはあくまでぼく個人の感想ですが、面白いと思う地域には、都会でバリバリ働いていた人がいて、そういった方はご自身の体験の広さが、思考の振り幅の広さにも繋がり、何でも話せそうな心理的安全性が生まれる。結果、そんな人に関わる人たちもまた挑戦しやすくなり、この地に外から訪れたよそ者にとっても良い雰囲気に感じることが多い。

もし、多拠点生活や移住を検討されている方なら、行政や民間企業にこういったキーパーソンがいるかどうかを見極めるといいのでは。と、話がそれました(笑)。

平澤さんには真庭の魅力をいろいろ聞くと同時に、真庭には地域ごとに独自の文化やコミュニティがあり、平澤さん自身はあえてどこかに肩入れすることなくフラットに関わっているのが印象的でした。

そして、「真庭はいろいろあっていい状態、無理に1つにしない」その言葉の意味を、ぼくも6日間滞在中の人との出会いを通じて感じることができたのでした。

美味しい水と空気は、何よりも贅沢な日常

高原ピクニックでチーズフォンデュを作り。

蒜山の山田農園さんで自ら野菜を収穫。

サイクリングやハイキングをして、気持ち良い空気を肺にたくさん送り込んだ

西の軽井沢と呼ばれる蒜山では、そんな非日常感溢れる体験がたくさんできました。

また、イタリアの地中海に浮かぶシチリア島から蒜山に移住してきたルーチョさんにも話を聞けたのでご紹介します。

この地に移住して約10年。シチリアから取り寄せた本場のオリーブオイルの輸入販売を行う店舗「Oliva Sicula(オリーバシクラ)」を営んでいるルーチョさんに「この地のどこが好き?」というストレートな質問を投げかけました。

すぐに返ってきたのが、蒜山の景色と空気。店舗から少し歩いた高台から見る高原の景色はお気に入りのようです。ぼくも、すぐに気に入りました(笑)。

そして、もう1つ。毎日の生活に欠かせない水。蒜山には湧水の名所もあり、蛇口をひねれば天然水クオリティ。奥様は移住してから、あかぎれ、アトピーが治り、妹さんは喘息が治ったそうです。水と空気など環境の良いところで暮らす大切さを改めて感じました。

都市追求型社会から、豊かな自然資源を生かした持続可能な暮らしへ

次に伺ったのが、蒜山の中心エリアから車で30分ほど走ったところにある中和(ちゅうか)地区。蒜山のリゾート感とは打って変わって山々が広がる神秘的な雰囲気の場所でした。

人口700人程度の自然に囲まれた中和には、陶芸家に豆腐屋、蕎麦屋、うなぎ屋……手に職がある個性豊かな移住者が増え続けているそうです。

このエリアで思い出したキーワードは、里山資本主義(経済成長だけを求めた「マネー資本主義」の対義語として、安心安全のネットワークで作る資本主義とぼくは解釈)。例えば、地元の住人が木を伐採し、それを地域の団体が買い取り、宿や店舗に燃料として販売する(住人はそれでお小遣い稼ぎにもなる)循環型の仕組みを取り入れていました。

そんな中和で出会ったのが蒜山耕藝の高谷 裕治さん。もともとは神奈川県で社会福祉士として働いており、東日本大震災を機に理想の暮らしを求めてこの地に移住してきたそうです。

中和を理想の地として選んだ理由の1つは、ここでもまずは水。米を中心に穀物や野菜を作り始め、食卓「くど」も開店(伺った際は新型コロナウイルスの影響で休店中)し、加工品作りにも挑戦するなど、都市追求型社会から豊かな自然資源を生かした持続可能な暮らしへシフトしているのが印象的でした。

高谷さんは、最近はよくサーフィンにも行くと言います。真庭は岡山の内陸地域にありながら、鳥取県の日本海側には車で約40分ほど。山と海が日常にある生活も、移住してから開拓した豊かなライフスタイルの1つとして話されていました。もちろん大変なこともあるだろうけど、自然の中で遊ぶのが好きなぼくも、このような場所で暮らす1日を頭の中で想像しながら、話を聞いていました。

わからなかったら行ってみよう、体験してみないとわからない

「ぼくは、もともとThe資本主義者だったんですよ」

東京柴又にて生まれ育ったフーテンの寅さんのような人と出会ったのは、美甘(みかも)地区。その男、名前は関まさゆき。

この地に来る以前の仕事は、家族経営で営む町工場。海外にも工場があり、従業員は外国人労働者も合わせ80人規模だったといいます。

しかし、時代の流れで年々ビジネスは縮小し、同時に会社の借金も膨らみ、ついには工場を手放すことに。先に触れたように、その間はお金がないと生きられない”The資本主義”を都会で経験し、趣味だった飲み歩きの影響からも心身ともに疲弊していた時期もあったそうです。

家族で移住した先は岡山県の海辺、瀬戸内エリア。そこから、真庭の中和地区で開催されていた「なりわい塾」に定期的に通ったのち、美甘地区にお母様と二人で移住し、真庭市地域おこし協力隊としても活動していたとのこと。

小高い山の上に建つご自宅は、家全体をリノベーション中。もともと知り合いがいたわけでもない美甘をあえて選んだのは、豊かな自然があることと、「わからなかったら行ってみよう、体験してみないとわからない」という挑戦心から。

現在は、山から街に降りて仕事をしたり、草木創作作家として藁によるホタルかご制作なども行っています。

「いつかは、東京で草木創作の個展を開きたいですね」そう語る関さんの笑顔や、まだ自分が何にも染まっていない場所を1から開拓していく生き方も、魅力的に映りました。

“この人がいるから移住したきた”。今ここにいる理由が聞ける街

「もし、真庭に移住するとしたらどこのエリアがいいですか?」

ぼくがそんな質問をされたら、まずは久世か勝山と答えると思います。この2つの街は車で15分くらいの距離にあり、生活に関わるお店が充実していて都市からの移住でもすんなり馴染んでいけそうな久世か、歴史的な街並みの雰囲気にココロときめく勝山か。ここを拠点に、先ほど挙げた方々がいる真庭の各エリアにも車で30分前後で行けることも多く、利便性もちょうど良い。

さらに、ここでもぼくが感じた魅力は人でした。

久世駅から徒歩圏内にある「真庭市交流定住センター」では、センター長の池田恭子さんや、もともと大阪で飲食店の店長をしていた古谷有加さんなどにお会いしました。

「大阪では忙しい日は夜の2時3時まで働き、ぎゅうぎゅうとした毎日に疲れていました。その際にこの場所を立ち上げた松尾さんからお声がけがあり、真庭の地域おこし協力隊に応募したのです。この人がいるから真庭に移住したと言っても過言ではないですね」と語る古谷さん。

“この人がいるから移住したきた”という熱いキーワードとともに、また別の方からも“あの人が真庭にいるから出ていかない”という言葉を聞いたのも思い出した。土地の引力となっているのは、やはり人。

自立した個人の存在が、多様性を産む

先ほど古谷さんから名前が出た松尾 敏正さん。勝山でレストラン「ろまん亭」を営むと同時に、真庭市交流定住センターの立ち上げや、一般社団法人コミュニティデザイン代表理事など、様々な事業を手掛けています。

本人は「ぼくも勝山に戻るまでは、大阪と東京は毎週行き来するような多忙な人でした。今は家族と田舎ライフを満喫しています。と言いつつ、やっぱりこちらでもいろいろやっています(笑)」と、お子さんたちの方に目をやりながらも充実した笑みがこぼれていたのが印象的でした。

ご出身地の真庭市にUターンしてからも精力的に動いていることが伝わると同時に、こういった方がいると、地域の中で自立した人が育ったり、他所から来た人も地域に入っていきやすくなりますよね。

同じ勝山では、2013年に東京から移住し、旭川沿いの小さなカフェ「かぴばらこーひー」を運営している小谷野 智恵さんとの出会いも印象的でした。「一杯一杯、心を込めて。心に寄り添うコーヒーを!」をコンセプトに丁寧に淹れたコーヒーも、1から作り上げたかわいいお店も、天気が良い日は川の水がキラキラ輝くテラスの雰囲気も、その全てにこだわりを感じずにはいられないほっこりする空間でした。

小谷野さんの笑顔も素敵。今回はお店がお忙しい時間に尋ねたので、またゆっくりお話しできる日に訪れる理由ができました。川沿いで飲んだレモンコーヒー、おいしかったです。

最後に紹介するのは、横浜の設計事務所に勤めた後、26歳で真庭にUターンした藤田 亮太さん。

真庭の温泉郷「湯原」の旅館で支配人などを務めたのち、「自分もプレーヤーとなって何かやってみたい」との思いが募り、2019年に独立。フリーライターや、映像配信、ネットラジオの運営なども手掛けているそうです。

独立したきっかけには、ここでも松尾さんの名前が。「起業するなんて考えてもいなかったけど、松尾さんが事業の作り方だけではなく税金などお金まわりことも教えてくれたので、一歩踏み出せました」と、語る藤田さんも今では真庭の魅力を発信するキーパーソン。

ぼくもライターとして全国を動き回り地域の情報を発信することも仕事にしていますが、よりローカルに潜り込んで、地域の人々と関わりシロを大きくしている藤田さんの姿勢は素敵でした。

藤田さんが運営・管理をしている「青木本家」という貸切古民家に泊まった際は、いろりを二人で囲んで豚汁を食べながら語り合いました。こういった空間と雰囲気も豊かだったなぁ。

あなたの挑戦を後押ししてくれる人がたくさんいる庭(縁側)、真庭

今回は6日という短い間に、真庭の主要5エリアをドライブとサイクリングで全て回りました。この記事では紹介できなかった温泉街「湯原」エリアや、山の上の廃校をリノベーションしカフェやゲストハウスに生まれ変わったUeda Villageがある「落合」エリアも素敵だったなぁ。

そして、観光名所としての高原の風景、歴史ある街並み、川沿いの桜並木など忘れられない情景と同時に、そこで暮らし働く人を見て、自分ごととして持ち帰りたい生き方にたくさん出会えました。

その1つは、場所を問わず、自分で考え行動し、仲間を巻き込んでいくことの大切さと面白さ。そんな仲間と一緒に飲むお酒は、豊かさを感じられること(笑)

東日本大震災をきっかけに暮らす場所や働き方を変えた人が多いように、コロナ禍も自分のライフスタイルを見つめ直すきっかけになっている人もいると思います。真庭はあなたの挑戦を後押ししてくれる人がたくさんいる庭(縁側)のような温かい場所になると思うので、まずは一度、訪れてみてはいかがでしょうか。

「真庭は人が観光資源」。ぼくも、また行きます。


【滞在期間中に訪れた場所と、出会った方々】

Oliva Sicula(オリーバシクラ)
http://olivasicula.com/

蒜山耕藝
http://hiruzenkougei.com/

なりわい塾
https://maniwa-nariwai.org/

真庭市交流定住センター
https://i-maniwa.com/area/koryu/

ろまん亭
https://i-maniwa.com/area/roman/

かぴばらこーひー
https://capikopi.com/

Ueda Village
https://ueda-village.com/