ローカル

遠くにいるからこそ、
見えるものがきっとある。

山陽精機

代表取締役 行本充宏

THEME「マーケット」

 何も不自由のないところに、工夫は生まれない。マイナスがあるからこそ、プラスに変える力が生まれる。「工夫しなくてもいい環境よりも、厳しい環境だからこそ人は少しずつ、少しずつ工夫していく。その毎日の積み上げをやっていけば、はるかに良いものができる」。行本の言葉は、力強かった。地元で金型の会社を起こして41年。今や大手メーカーの自動車の金型を製作し、取引相手は世界中に存在する。

 「この辺りは7時や8時になると真っ暗でしょう。若い頃、そんな田舎が嫌で逃げるように大阪に出たのに、長男だから戻ることになってね」。26歳でUターン。公務員や農協、木材会社などが主な働き先だった頃、大阪時代に培った金型業で勝負しようと決めた。高速道路も開通して近くなった関西圏に営業に出向き、大手メーカーの電化製品の金型を請け負うように。そこから業績を伸ばしたが、最初から全てが順調だったわけではない。

 まず、真庭市の気候は、精密な機械加工を行うのには難しい環境だった。「一日の気温差が20度もある季節もある。製品を作る機械自体が暑ければ伸びるし、寒ければ収縮する。そんなので精密なものなんて作れやしない」。 工場全体を外気から遮断することを考え、機械のモーターが放つ熱を夏はうまく外に逃し、冬は暖房として活用。2011年にはセンサーを導入して自動化を進め、温度管理を徹底した。環境面から細かく整えることは、ものづくりの細部までこだわることにもつながっていったという。

 「物事を解決するには、不安定要素を一つずつ潰していけばいい」。事業拡大の大きな転機となった海外進出の時もそうだった。製造技術が認められ、20数年前に大手商社から声がかかって米大陸に進出した。「アメリカに行って事業をやろうとした同業が失敗したのをみてきた。向こうでも、営業、設計、加工、組み立ての仕事がある。そこそこの設備がないとできないが、人員を確保するのも経費がかかること。そこを解決したかった」。ここでも、行本は頭をひねった。

 製造工場というのは、何かあったらすぐに駆けつけられるよう、プログラマーがいる本社と工場がすぐ近くにあることが普通だ。だが、その常識を覆した。同じ敷地内にあった工場と本社を、事業規模拡大に合わせ、わざわざ4km離れた場所に分けることを決断。「海外の仕事をどうするかも考えていた。4km離れたところでできるなら、地球の裏側でもできるだろう、と。不利な状況があるからこそ、人は成長する。少しの設計ミスで現場の機械が使えなくなると数百万円ロスが出てしまうから、さらに緻密な仕事をするようになる。これだけレベルの高いプログラマーは国内でもそうはいない」。社員のことを話すとき、一段と誇らしい顔になった。

 「うちはあるものを売っているわけじゃなく、お客さんが困っていることを聞いて、それを作る。イメージは注文住宅みたいなもの。市場を調査し、そこで求められるものを売ればちゃんと価値がつけられる。お客さんがいる都心部や海外から離れた真庭だからわかることがある。洗濯機が回っている外にいて、その渦を見ればいい。遠いからこそ見えるものがある」
 本社の玄関口に、一枚の書が飾ってある。「寧静至遠(ねいせいちえん)」。中国の諺で、心静かに物事を見つめたら大きな目標に辿り着ける、という意味がある。環境や状況の不利、そして課題を工夫によって解決していく姿勢は、常に山陽精機が目指すもの。コロナ禍だった2021年は、過去最高の売り上げを記録した。

 「3日後から40日間かな、海外出張でアメリカ、メキシコ、ブラジル…と回ってきます」
 真庭から世界を見つめるその目は、鋭く光っていた。

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