ベンチャー

出会ったのは、
自分を表現する生き方。

慈観雅之

慈観雅之

THEME「自己表現」

 「手を動かしながら話す方が落ち着くというか、それが当たり前になっていて。すみません、藁(わら)を綯いながらでもよいですか?」そう言って、慈観雅之さんはこちらの質問に答えながら、巧みに手を動かし続ける。

 生まれ育った東京都から岡山県に移住すると、真庭市で藁細工と出会い、今、創作活動を続けながら暮らしている。葛飾区柴又の町工場を経営する家に生まれた。「これ」と思うものには、真っ直ぐに生きてきた。中学時代は単身でイギリスへ留学すると、バスケットに夢中になったがケガで断念し、たまたま描いた絵が州主催のアートコンクールで最優秀賞を受賞。「祖父も表具師だったし、ものづくりの家系ではあって。もしかしたら将来、そういう道もあるのかなぁと思いました」思い返せば、その頃からすでに表現することが好きだった。

 人には、人生の中でいろんなタイミングやきっかけがあるが、慈観の一つの転機は7年前。真庭市が行っている農山村をフィールドにした人材育成塾「真庭なりわい塾」に参加したことだった。 「里山で昔から行われてきた生業や文化を体験し、資本主義とは別の価値観を学びました。ずっと父親の商売を手伝ってきたこともあり、資本主義の世界でどっぷり生きてきたので、そのギャップに最初は葛藤がありましたね。でも、そこから学んだことを生かし、何か自分でも新しいことをしたい、生業を作りたいと思うようになりました」2018年に地域おこし協力隊として真庭市へ。さまざまな地域を回りながら、ある日、蒜山地域でガマ細工をつくる作業を見せてもらい、「これだ」と思った。

 「大量生産、大量消費の時代に、このガマで作ったかばんは50年も100年も使えると聞いた。編むのも、材料を準備するのも、時間をかけて出来上がるものに魅力や価値を感じて、自分でもやってみたいという思いに駆られました。ただ、ガマを集めるのは難しいので、稲藁だったらみんな田んぼで作っているし、藁でやってみることにしたんです」藁の綯い方は、独学で覚えた。「これで合っているんだろうか」と不安になりながらも、考え、ひたすら手を動かす日々。自然と自分と向き合う時間も増え、藁を通して自分の変化も感じるようになった。「時間もかかるし、技術もなかなか進歩しないし、もどかしい。合理的に素早く出来上がることはないんですね。でも、楽だから楽しいというものでもないじゃないですか。藁は、試行錯誤しながら大変だけど楽しい。時間の捉え方、生き方や暮らし方まで、全て自分自身を練り直しているような感覚になりました」

 それまで忙しく過ぎていた日常を、藁を綯う時間だけは少し立ち止まることができた。そうした時間が、なにげない日々の暮らしの中に楽しさを見つけられるようになったという。アーティスティックな作風に思われがちだが、しめ縄については、日本の伝統的な美意識や精神性をきちんと伝えていくものと考え、奇抜になり過ぎないよう心がけている。その中でも、「自分のアイデンティティーのようなもの」という螢籠(ほたるかご)をつけることと、真庭産の藁を使うことにこだわっている。一から始めたものづくりの道のりは、決して楽ではなかった。「藁では地域おこしにならない」と言われたこともあった。働き過ぎて倒れたこともあった。辞める理由はいくらでもあったかもしれないが、ここでこれをやっていくという覚悟が慈観さんを支えてきた。

 「ようやく芽が出てきたのが、この一年くらい。真庭市内だけでなく大阪の阪急うめだ本店などでもしめ飾りのワークショップをさせてもらうようになったのと、藁細工ではない創作活動をする機会が増えてきました。昨年から東大阪市の町工場の素材を使ってアーティストが表現する『アーティスト・イン・ファクトリー』というプロジェクトに選ばれ、今年は三和紙業さんとのコラボで紙を使わせてもらいました。藁とも違い、これまでやってきたことが自分らしい表現に行き着いた気がしました」

 ものが溢れる時代だからこそ、オリジナリティーをもっと出していこうと、今年は自分の活動を紹介する本も出版した。今後も、国内に限らず世界を視野に表現活動を目指しているという。「いろんな経験をしてきたことが、今の自分につながっている。しんどいことがあっても、乗り越えられるのもこれまでの経験があるからだと思う。ますます自分にしかできないことをしていきたい」 選択して、行動する。その痕跡が、その人の人生となる。たどり着いたこの場所で、これからもアートと伝統を行き来しながら、自分らしさを表現してゆく。