恩送りの精神で、
豊かな山を、
繋いでゆく。

ナガタ木材
代表取締役 永田学
「そりゃ、たくさん伐って市場に出せば儲かりますよ。でもね、今だけよければそれでいいんかなって思うんです。木はお金になるのに40年かかる。せっかく先人たちが大切に育て残してくれたものを、また次の代に繋いでいくことが私たちの役目でもあります」
永田学さんの言葉には、山に対する愛情が滲み出る。結婚して妻・このみさんの実家に入ったことがきっかけで、義父が営む木材運送業を手伝うと、数年後には山に入って木を伐り出す素材生産業を始めた。もともと林業が盛んな地域だったが、時代の変化と共に、自分の山を自分で守る自伐林業家が減ってきていた。
「木を伐る人が減るということは、木を運ぶ仕事も減る。生計を立てられなくなる前に、なんとかせんといけんという思いもあったし、周りの人たちからも『若いんだから山に入らんといけんで』と言われていたのもあって、始めてみたのが最初ですね」
高性能林業機械を購入し、林業を始めた永田さん。ちょうどその2年後の2004年に岡山県内を台風23号が襲い、山の木々がなぎ倒される甚大な被害が出た。ちょうど購入した機械が復旧作業に役立ったというが、あまりの被害に林業から身を退く人が増えたという。「本当に山の木が全部倒れる、そんな光景でした」。そんな頃から生業として、効率化や生産性を求める大型林業化が進む中でも、良い山にすることを大切にしてきた自負がある。
「手入れがされていない山に入り、見渡しながら『どういう山にしようかなぁ』と想像する。もちろん自分たちにとってもお金になる木を伐ることも考えるけど、どの木を伐ったら将来的に良い木が残るかを考える。作業をしながら、だんだんと山に光が入って明るくなり、下草も生えていなかったところに下草が生え、山が元気になってゆく姿を見るのが、やっぱり嬉しいし、楽しいですよね」
山仕事の話をする時、山師の顔は一層生き生きとする。そんな父の背中を見て育ったのが長男の春樹さんだ。大学時代をコロナ禍で過ごし、一時実家に戻ってアルバイトで家業を手伝った流れから、一度は就職活動をしたが父の仕事を継ぐためにUターンした。「いずれは継ごうかなと思ってはいたので、少し早くなっただけです。もともと体を動かすのも好きだし、山仕事は自分にとって身近でした。父が母と一緒にお弁当を持って山に行く姿を見て育ちましたし、幼い頃からトラックに乗せられたのを覚えています」(春樹さん)
親子で一緒に山に入り、父から子へとノウハウを伝えてきた。山に作業道を作る際も、実際に山を歩いてみるところから始めるという。岩が出てきたり、水が出てきたり、その山の特徴を掴むために足で踏んで感触を確かめてゆく。「できるだけ山に負担をかけないように、効率の良い道をつくるのが理想。迷った時は獣道を調べてみる。獣たちはいい場所を通っているから、それで確認することもあったりします。感覚的なことですけど、『ここがいいな』と思うことが父と重なることがあります」春樹さんは今年、林業2級技能検定に合格するなど、めきめきと成長。今では学さんは山から出した木を運ぶ仕事に専念し、実際に木を伐り、作業道を作るのは春樹さんら三人の社員が担っているという。父から子へと引き継がれているのは、技術だけではない。「林業を始めた頃、稼げるんだったらどんどん木を伐って、市場に出せばいいんじゃないかって言っていたんです。けど、父にそれは違うと言われて。山の仕事をすることは、決してお金だけのことじゃないんだなと思いました」
伐倒や間伐のやり方一つとっても、普通は列状間伐といって木を一本一本選ばず、予め決めた列に沿って機械的に間伐するが、ナガタ木材は定性間伐を選択。効率だけを考えず、木の性質や成長具合、周りの状況を見ながら一本ずつ確認して健全な木を残していくやり方を貫いている。「枝のはった木や、ここいける?と思うところが思い通りにやれたらおもしろいんですよ」と、父と同じように目を輝かせる。
「一見、山に入って木を伐り出すだけの単純な作業に見えて、考えることはたくさんあるし、仕事をしながら光が入った山が美しいと思う景色があり、やりがいを感じますね。山仕事をするようになって、地域にある山の見方、見え方が変わってきました」
人も、山も、私たちはつながりの中に生きている。自分だけ、今だけ、を考えるのではなく、先人から受けた恩をまた次世代へと送っていく。豊かな山は、未来へとつながる。








