自分が変われば、
風景は違ってみえる。
0867
ゼロハチロクナナ 杉原 利充
真庭市の市外局番である「0867」を、そのままロゴにした服飾ブランドを立ち上げた杉原さん。大きな存在感を放つ4桁の数字には、地元をアピールすることと、全く周囲に認められなかった自分自身を変えること、そんな意味を込めている。だから、今日も胸を張り、0867の服を着る。
「とにかく家族やみんなに迷惑しかかけてこなかった。親孝行も、地域への恩返しも何もしていないなと思ったんですよね」
若い頃からバンド活動に熱中し、活動資金をひねり出すためにオリジナルデザインのTシャツを自作。
「30歳までまともに働いたことがない」と振り返るように、自分がどう生きていくのかをずっと模索していた。音楽も、デザインも、そう簡単に仕事にできるわけがないと思っていたが、普通に働く自分も想像できなかった。
「田舎におっても何も変わらない」と飛び出すように東京へ。5年ほど暮らしたが、ふと頭によぎるのは嫌いだったはずの真庭のことだった。
「意気込んでとりあえず都会にでたものの、結果を出すどころか生活に追われる毎日で、人もいい意味でも悪い意味でもクールだなぁと思いました。そんなとき、住んでいた頃にはわからなかった田舎の良さが見えてきたんです」。故郷を思う気持ちが自然とデザインに落とし込まれ、ステッカーを作っては地元の友人に送り届けて使ってもらい始めた。0867というブランドは、そんな風に生まれた。
だが、すぐに軌道に乗ったわけではない。「その頃は完全に趣味でした。他の仕事をして稼いだお金は全部服を作ることにつぎ込んで、お金がなくなる生活(笑)。今考えるととにかく甘かったですね」。徐々にロゴの服が欲しいと言ってくれる人も増えてはいたが、自信は持てなかった。そんな杉原さんを半ば強引に変えたのが、共同代表を務める志賀英夫さんだった。ある日、志賀さんが個展に来て「ここにある服、全部くれ」と、本当に車いっぱいにして買って帰った。
「こんないいものは絶対に仕事にした方がいいと、2年間毎日のように口説かれて…。そんなに言われたこともなかったです。最初はいまさら誰かと組んでやることも考えていなかったし、金儲けにしたらいけんという変なプライドもありました。でも、志賀くんと出会い、不安の方が大きかったのがだんだんと変わりました。やるなら本気で売れないといけない、そのためには一人じゃ限界があると思い、覚悟を決めました」
心強い仲間と出会い、杉原さんのストーリーが動き始める。2019年に店舗をオープンすると、予想外の広がりを見せた。
「若者よりも年配の人がたくさん来てくれました。スーツで来てロゴの入ったキャップを被って帰るおじいちゃんもいたし、孫とお揃いにしたいと買って帰る人も多かった。新聞で取り上げられたことで、いろいろな世代の人が注目してくれ、地元で活動する若者を応援する気持ちで買ってくれたのかもしれません」
ある日には市長が一人で服を買いに来てくれたこともあったほど、次第に話題になっていく。街中で0867の商品を身につけた知らない人同士の間にコミュニケーションが生まれ、地元企業からはたくさんのコラボ企画の声をもらうように。取材中に出された地元「とみはら茶」のペットボトルにも、0867のロゴを見つけたほどだ。今年になってスーパーの経営や不動産業など地域に密着して働く金田久克さんも加わり、隣の美咲町の市外局番「0868」をロゴにした2店舗目も始めた。
志賀さんは、杉原さんの才覚をデザインだけだと思っていない。「絶対に人のことを悪いように言わんし、だから人が付いてくると思うんです。僕はこの人から人を信じることや仲間を大事にすることを学んでいます」。そんな人柄もあって、周りに受け入れられていったのかもしれない。
「最終的には、4桁の市外局番を日本中に広めていきたい。今はまだその種まき。東京ではやれなかったと思うし、田舎にこそチャンスがあるとわかりました」と話す杉原さんには、もう一つ変えたいものがあるという。
「僕らの若い頃と違って、今の若い子は無気力というか欲がないというか、夢がないように思えてしまう。でも、僕らの活動を見てくれた子たちが、真庭だからできないと諦めるんじゃなくて、やりたいと思うことにチャレンジするようになるかもしれないじゃないですか。そのためにも活動を広げていきたいと思っています」
全ては自分次第であり、自分が変われば風景は違って見える。そのことを0867という服を通して伝えていく。