ベンチャー

ゆるく繋がっていれば、
すごいことが起こる。

蒜山耕藝

高谷 裕治 高谷 絵里香

THEME「土地」

「中和(ちゅうか)という土地は、10年目にしてやっぱりすごいなと思わせる場所。水が良いのはもちろんだけど、広い意味で多様性があって余白がある。そこがいい」

 移住して農業を始めてから10年。多くの人が高谷夫妻をきっかけに蒜山地域の土地に魅せられて移り住んだ。取材日も移住してきた蕎麦屋とうなぎ屋の友人が訪ねてきていた。「ここに来た友人は陶芸家に豆腐屋、蕎麦屋、うなぎ屋…。まるで江戸時代みたいですね(笑)」。差し入れの魚を囲み、楽しそうな輪があった。

 もともとは神奈川県で社会福祉士として働いていたが、ある講演会で自然栽培と出会って人生が変わった。農作物の価値を新たに捉え直したときに、自ら育てることを選択したが、その矢先に東日本大震災が発生。「それまでの経済優先の価値観が変わったので、どうせなら自分もリセットしてゼロから作っていきたかった」。理想の暮らしを求め、水がよく、畑がある土地を探している時、この蒜山の土地に惹かれた。
「自然栽培で作った農作物には、その土地のエネルギーやキャラクター(特性)が出ます。食べた時、味の美味しいかどうか、甘いかどうか、とかではなく、体に浸透していくような感覚があるかどうか。中和の水はそういう意味で沁みていく水でした。これは住んでいる僕らが感じるだけじゃなく、訪れてくれた人の多くが共感してくれました」

 米を中心に穀物や野菜を作り始め、加工品にも挑戦。餅が食べたいと思えばもち米を、麦茶が飲みたいと思えば麦をといった具合に、自分たちが食べたいものを作ることを大事にしてきた。最初は直売所にしようと借りた小屋も「どうせなら食べる体験をしてもらい、少しでもここの空気感を味わってピンとくるものを感じてもらえたらいいなと思って」と、食卓「くど」を開店。土地が生んだ食物の味に、多くの人が惹きつけられた。

 この土地を耕し、作物を育て、それが人と人とのつながりを生み出していく。それは、地元の人とのつながりも作ってくれた。「中和の人はつかず離れず、親切だけどお節介じゃない。田舎暮らしはスローライフじゃなくむしろやることは多いけど、地域の人と暮らしていると思えます」と、今は「迎え入れる側」としての意識を持つ。多くの移住者が中和を気に入って来てくれることを嬉しそうに話してくれる高谷さんだが、移住者だけの仲間意識にならないようにしているという。高谷さんは高谷さんの、他の移住者にはその人なりの関係性が築けている。

 「(移住の)みんなは能動的にここがいい、と来ているのは強み。理想としては、独立した人たちが連携する形。食物を見ていると、それぞれが精一杯生きて共存している。何もないところだけど、ゆるくつながっていれば、すごいことが起こる余地があるんですよ」
江戸時代は、実は豊かな時代だったのではないかと言われている。自分たちでいろいろなものを生産し、暮らしている地域でつながり、農業も文化も発展した。高谷さんは笑いながら話したが、あながち冗談でもない気がした。

 コロナ禍でふと立ち止まって考えることも増えたが、夫妻は良い一呼吸と捉えている。理想とした自然栽培をし、中和にも馴染み、順調にやってきていたつもりだったが、いつしか何かに追われるように働いていた。「どこか暮らしを疎かにしていたのかもしれない」と感じた。

 「農業をし、くどを開き、加工品を作る。他にも、山に入りたいし、小屋も作りたいし、田舎はやりたいことが無限に広がります。でも、どんどん手を出してしまうといつの間にか暮らしが窮屈になる。今までうやむやにしきたのをもう一度リセットし、自分たちの暮らしを積み上げていきたいですね」
この頃は、神奈川時代にしていたサーフィンを楽しみ、その間、絵里香さんは車で読書。そんなゆったりとした時間を二人で味わいつつ、農業への向き合い方も考えることも増えた。「価値ある時間を過ごしたいし、仕事も本当の価値あるものづくりをしたいと思いました。そういうものが作られる自然を守りたいし、地域もそうであってほしい」。
10年住んでなお、暮らしも仕事も足元を見つめ、この土地に生きる。

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