ベンチャー

本当の豊かさは、
目に見えない
ものでした。

MATSURIKA

マツリカ 山形 彩子

THEME「Afterコロナ」

 「今は3人のスタッフがいて、みんな子育て中のママ。病気になったり、台風で休校になったり、そんなさまざまな都合に合わせて働けるような職場にしたかったんです。2階に子供部屋も作っていたので、コロナの時も子連れ出勤でいいよ、と言えました。子ども基準でやってきたことが、結果的にコロナにも強かったです」。暮らし方や働き方が変わりつつある今だからこそ、6年前に東京から真庭に来て、せっけんの会社を立ち上げた山形さんの言葉はすっと入ってきた。

 東日本大震災での経験が考え方を変えたという。当時は都立学校で養護教諭として働いていたが、1時間以上かかる通勤電車は余震が起こるたびに止まり、スーパーから水や食料品が消えた。「子どもを守りながらこのまま働けるのだろうか」と不安になった。
「いろいろ移住先を探していたけど、真庭はとにかく人が良かった。移住者にも心を開いてくれ、先に移住した仲間もいたし、適度に街。ここなら暮らせるかもと思いました。最初は地域おこし協力隊で3年働き、その後、起業しました」

当時、シェフとして独立したばかりの夫は埼玉県に残る2拠点生活を選択し、息子と二人で真庭に移住。働き方を考えていた時、保健室にいた頃に受けたアトピーの悩みを少しでも手助けできないだろうかと自作していたせっけんを思い出した。
「自分たちが作っていれば何か起こった時に対応しやすく、小さくて、作り置きができ、全国発送ができる。親一人で子育てしながらできる仕事の条件にぴったりでした」

真庭という土地も、山形さんの作る「生せっけん」と相性が良かった。保存料や環境破壊につながるパーム油を使わず、水分と香りをギリギリまで残してフレッシュな状態を保つもので、それを作るために必要なものがそろっていた。
「真夏の温度管理が大変なんですけど、ここら辺は山あいなので朝晩はしっかり気温が下がってくれます。その上、水も良かった。今も毎月、蒜山高原の湧き水を汲みにいっていて、これが超軟水でとてもまろやかで質の良いせっけんになるんです」

原料には、クロモジ、ヒノキ、ヤマブドウ、ラベンダー、酒かすといった豊かな森をつくる木々や季節に咲く花やフルーツ、地元の酒蔵さんの商品など、身近なものを生かしている。「ここの土地の良さを閉じ込めて届けることができるのがせっけんの良さなんです」と、そのほのかな香りが真庭の自然を感じさせてくれる。実際、香りを気に入ってくれたお客さんが真庭を訪れてくれたこともあるんですよ、と嬉しそうに教えてくれた。

 働き方は子ども基準、そしてせっけん作りにはもう一つの基準がある。それは「作っている自分たちがワクワクするものを作る」こと。それが毎日楽しく仕事を続けていくモチベーションになるという。エシカルやオーガニックという中にも、自分たちが「きれい」とか「いい香り」と思う感覚を大事に、デザインや彩りにもこだわる。「今日は撮影用にスタッフが花を摘んできてくれたんです。もし良かったらと思いまして」。働く気持ちや心遣いは、こんなところにも表れるのだろう。

 都会の人の感性をくすぐるせっけんを作れるのは自らが都会育ちという点も強みで、住んでみて知った真庭の良さは、せっけんを通して必ず都会の人に届けられると感じたという。そして、暮らしの点でも、生活に余白のなかった昔とは違う景色が見えている。自分がこうありたいという基準を大事にしてきたからこそ、コロナウイルスの流行でこれから先を考えた時、やっぱり思うことがあるという。

 「ここに来ていろんな視点が変わりました。夏の夜一つでもそう。東京では寝苦しくて嫌いだったのに、真庭は窓を開けっ放しにしておけば涼しく、子どもとホタルを目で追いかけているのもなんて豊かなのだろうと思います。家とか物があるのは豊かだと思っていましたが、本当の豊かさは誰かと過ごす時間だったり、きれいな空気や水だったり、目に見えないものだと思いました。ここには都会では逆立ちしても手に入らないものがあります」

 山形さんが今、一番大事にしているのが「時間」だという。都会は忙しく、時間が奪われる感覚があったから、今思うような価値に気づけなかった、と。どこか駆け足だった時代からここらで立ち止まり、違う風景を見てもいいのかもしれない。 

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