ローカル

地球からの贈り物で、
暮らしの土台を
支えています。

中山石灰工業

代表取締役 中山尚啓

THEME「資源」

 「さ、着きました」。社長の中山と、業務部長の坂本に連れられて到着した場所には、テレビドラマか映画の世界で見るような壮大な光景が広がっていた。そこら中を走るのは、人の身長よりも大きなタイヤをつけた作業車たち。採掘や運搬の作業を行う姿は、とても迫力があった。現場は何段にも高さが分かれて石灰を掘っていて、帰る際に道を間違えてしまうほどの広さ。ここが、中山石灰工業が持つ鉱山だ。

 1959年の創業。元々は関西で商社をやっていた祖父が高梁市中井町で始め、10年後に北房に移った。鉱山の規模もそれまでより大きくなり、輸送も貨物鉄道からトラック輸送に切り替わっていく頃で、北房は交通の利便性も良かったという。世は、高度成長期。「石灰は鉄の純度を高めるのにも使われます。製鉄業が忙しくなればなるほど出荷量が増えていった時代ですね」。孫の代まで100年は持つと言われた本社の裏にある鉱山は40年で掘り終えた。それほどの需要があり、右肩上がりの日本を支えてきた。(現在は、本社から2km離れたところの新しい鉱山で採掘をしている)

 石灰といえば、一般的によく知られるのが運動会のライン引きに使われる消石灰だが、鋼鉄業や化学工業の原料、漆喰などの壁材に使われる建築材料、食品や医薬品など、実は社会のいたるところに使われている。鉱山から削り出した「石灰石」、それを焼いてできる「生石灰」、それに水をかけてできる「消石灰」と、大きく分けると3分類される。「時代の変化とともに、ニーズが細分化され、その都度商品を増やしていった。昔はボリューム(量)を求められたが、今は品質を求められる」。それに応えていくための柔軟性や加工技術を備えてきた。

 全国に石灰を扱う会社は70〜80社あるが、採掘できる鉱山ごとにエリアが分かれて事業を行なっている。「同業者はライバルであり、困ったことがあったら助け合ったりもする仲間でもあります。お互いの商圏も決まっていますし、地元に密着した産業なんです」と話す中山の横で、坂本が「こうやって自分が働くことは当時想像していなかったですけど、私も子供の頃から中山石灰の大きな工場を遠目に見ながら育った一人です」と笑った。

 「石灰は一番安いアルカリ資源。なくなるといろんな分野でコストが上がってくるし、急になくなることはない」と自負しながらも、一方で課題もないわけではないという。「どうしても石灰を作る工程で、エネルギーを大量に消費する産業。CO2の問題もある。環境問題が叫ばれる世の中でそこらへんは非常に難しい」と話す。

 もう一つが、社員採用だという。現在47人の社員を抱えるが「地元に残る若者が少なく、採用には苦戦しています。石灰という言葉を聞いたことはあるけど、何に使われているかわからない。社会になくてはならない産業だし、実際に働いてみると、1日に作れる量も決まっているから時間がきっちりしていて、働きやすくもあるんですけどね」。売り手市場の中、仕事のやりがいや労働環境がうまく伝わりにくいもどかしさもある。

 「豊富な資源に、安定した供給先があるだけに、保守的な業界だと思います。ただ、だからと言って何もせずにもいられない。社員の制服を新しくし、できることから意識改革を行なっています。やはり、時代の変化、社会の変化にあった会社にしていかなければならない」

 24時間、365日。加工工場は火を絶やすことなく、今日も稼働中。北房の不夜城は、見えないところで、私たちの暮らしを支えている。

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